11月13日の日記
2005年11月13日メール1つで、何か救われた気がした。
「いいんだよ」という何気ない言葉なのに、友達だったから響いてきた。
気にしていた相手だったからで相手の思いやりを感じたから。
友達ってなんだろうとか、考える前に私に何が出来ていたんだろ。何を思っていたんだろ。
おばあちゃんの思いやりも感じられず疑ってるだけだった。
だけど、今は信じられる気がする。
でも反省はしないと。
確実に、似ているようで皆違う。
物事を憂うことをしてみたり、悲観的に見てみたり、信じないでいたり、目をそらしてみたり。
全て私の自由で同じだけ当てられた時間の中で、どれだけのことをできたり、思えるかもそれぞれ違う。
で、私がちっぽけということは変わりない。
どれだけ哀れんだりするよりも、笑顔で消し去ってくれる方が救われることもある。
可哀相、と思う事でどれだけの人を救えるのか。
何も救えない。
こうして今書いている時間もそうで。
頑張らないといてはいけない気がしていたけど、そうじゃないかもしれない。
誰も保障してくれたり、許可が必要なわけじゃない。
あれ。なに思ったんだろう。
ばかだ。刹那的に思っては消えていくくせに。
確実に私は私以外の何者ではないから、それだけ確かで。
うん。
我が強すぎて、いつだって、私はどうなんだろう?そればかり。
人のことを考えられるくらいになれないんだ。
動けなければ私はそれで終わり。
今こうして書いて考える事が逃げに繋がっていて、一ミリも成長していない事は確か。
あれ。また下にもぐってく。
いいんだよって、今を認めないといけないんだろう。
これだけだめな自分を認めてあげないとだめっぽい。
慣れで、怠惰で、押しつぶされる。
少しも一日を大切に生きれないし、それはこの先も生きていくといっていないみたいで。
まずこうしていること、認めていいんだと言ってあげられるほどに。
「いいんだよ」という何気ない言葉なのに、友達だったから響いてきた。
気にしていた相手だったからで相手の思いやりを感じたから。
友達ってなんだろうとか、考える前に私に何が出来ていたんだろ。何を思っていたんだろ。
おばあちゃんの思いやりも感じられず疑ってるだけだった。
だけど、今は信じられる気がする。
でも反省はしないと。
確実に、似ているようで皆違う。
物事を憂うことをしてみたり、悲観的に見てみたり、信じないでいたり、目をそらしてみたり。
全て私の自由で同じだけ当てられた時間の中で、どれだけのことをできたり、思えるかもそれぞれ違う。
で、私がちっぽけということは変わりない。
どれだけ哀れんだりするよりも、笑顔で消し去ってくれる方が救われることもある。
可哀相、と思う事でどれだけの人を救えるのか。
何も救えない。
こうして今書いている時間もそうで。
頑張らないといてはいけない気がしていたけど、そうじゃないかもしれない。
誰も保障してくれたり、許可が必要なわけじゃない。
あれ。なに思ったんだろう。
ばかだ。刹那的に思っては消えていくくせに。
確実に私は私以外の何者ではないから、それだけ確かで。
うん。
我が強すぎて、いつだって、私はどうなんだろう?そればかり。
人のことを考えられるくらいになれないんだ。
動けなければ私はそれで終わり。
今こうして書いて考える事が逃げに繋がっていて、一ミリも成長していない事は確か。
あれ。また下にもぐってく。
いいんだよって、今を認めないといけないんだろう。
これだけだめな自分を認めてあげないとだめっぽい。
慣れで、怠惰で、押しつぶされる。
少しも一日を大切に生きれないし、それはこの先も生きていくといっていないみたいで。
まずこうしていること、認めていいんだと言ってあげられるほどに。
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