8月29日の日記
2006年8月29日じゃぁ出てってよと昨日言われた。もっともだ。
じゃぁ手を貸さなければ良いじゃんと、前私は言った。
所詮幸せにできるなんて、家族に限る。もし、近所で人が死んでも、悲しくはならない。
それなのに、人とのつながりを求めるなどおかしな話だ。
だから、私一人じゃ生きて行けない。思いやりなよ。
一瞬一瞬生きてる。
もっとこう、強くなろう。優しくなろう。
具体的には、ご飯をつくろうとか、考えます。けどやろうとしてすることができない。
単純にやりたくない。
だから、考え方を変えて。
こう書いてるうちに時間ばかり流れる。
もう考えるのやめたほうがいい。ただ嫌だ嫌だ思ってるだけだから。
いちいち感情的にゆすぶられ、その衝動で動けないとだめみたいだけど、行動がないし。
だから戒めて今一瞬を生きると思わないとだめじゃないかと。
そうしてる間は過去を見ないですむ。
またそーやってね。
思い込んで、閉じこもりなんか変だなと思いながら生きそうだけどね。
でも、自分は動けないんだ。こう思い込んで生きないと無理そうなんだよ。
いちいち意味をつけて認めてあげないと無理そう。
だけどなんかそれも悲しいな。
一瞬一瞬死と隣りあわせだと思い生きれたなら何だってとは
いかないけど、できそうだよ。
その間はいちいち考えてられないと思う。
ただ不安や恐怖を見たくない。
結局後ろ向きな選択かもしれない。
飲み込まれないように反対方向へ意識を持っていく。
でもそうやって逃げてきたから折れたとき立ち上がりにくいのかも。
心の中は、見えないから何か思っても、そんなに怖くない。
行動は目に見えてしまうから、気にする。
けど本当はどっちも同じ私から発せられるもので。
動きも心もセットならもうちっと動いたほうが良い。
お風呂は長く入ってるんだから。
忙しくなることを覚悟せねば。あとそれは犠牲じゃない。
-------------
本当は、怖いことが多すぎ。
どう自己弁護をしてみても暗闇は消えない。
目をそらそうとしても、直面したときの自信のなさは多分消えない。
それが本当に私だ。ごまかすのやめるべきだ。
汚い動機とか不安とかと一緒に生きないと転んだときイタイイタイ。多分。
じゃぁ手を貸さなければ良いじゃんと、前私は言った。
所詮幸せにできるなんて、家族に限る。もし、近所で人が死んでも、悲しくはならない。
それなのに、人とのつながりを求めるなどおかしな話だ。
だから、私一人じゃ生きて行けない。思いやりなよ。
一瞬一瞬生きてる。
もっとこう、強くなろう。優しくなろう。
具体的には、ご飯をつくろうとか、考えます。けどやろうとしてすることができない。
単純にやりたくない。
だから、考え方を変えて。
こう書いてるうちに時間ばかり流れる。
もう考えるのやめたほうがいい。ただ嫌だ嫌だ思ってるだけだから。
いちいち感情的にゆすぶられ、その衝動で動けないとだめみたいだけど、行動がないし。
だから戒めて今一瞬を生きると思わないとだめじゃないかと。
そうしてる間は過去を見ないですむ。
またそーやってね。
思い込んで、閉じこもりなんか変だなと思いながら生きそうだけどね。
でも、自分は動けないんだ。こう思い込んで生きないと無理そうなんだよ。
いちいち意味をつけて認めてあげないと無理そう。
だけどなんかそれも悲しいな。
一瞬一瞬死と隣りあわせだと思い生きれたなら何だってとは
いかないけど、できそうだよ。
その間はいちいち考えてられないと思う。
ただ不安や恐怖を見たくない。
結局後ろ向きな選択かもしれない。
飲み込まれないように反対方向へ意識を持っていく。
でもそうやって逃げてきたから折れたとき立ち上がりにくいのかも。
心の中は、見えないから何か思っても、そんなに怖くない。
行動は目に見えてしまうから、気にする。
けど本当はどっちも同じ私から発せられるもので。
動きも心もセットならもうちっと動いたほうが良い。
お風呂は長く入ってるんだから。
忙しくなることを覚悟せねば。あとそれは犠牲じゃない。
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本当は、怖いことが多すぎ。
どう自己弁護をしてみても暗闇は消えない。
目をそらそうとしても、直面したときの自信のなさは多分消えない。
それが本当に私だ。ごまかすのやめるべきだ。
汚い動機とか不安とかと一緒に生きないと転んだときイタイイタイ。多分。
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